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福岡高等裁判所 平成4年(ネ)377号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

梶原修

右訴訟代理人弁護士

徳田靖之

工藤隆

鈴木宗巖

荷宮由信

被控訴人(附帯控訴人)

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右訴訟代理人弁護士

福田玄祥

右指定代理人

加治屋貢

外三名

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  被控訴人(附帯控訴人)は、控訴人(附帯被控訴人)に対し、金二四一六万八〇五五円及びこれに対する昭和六一年五月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人(附帯被控訴人)のその余の請求を棄却する。

四  本件附帯控訴を棄却する。

五  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人(附帯控訴人)の負担とし、その余を控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人(附帯被控訴人。以下「控訴人」という。)

1  原判決を次のとおり変更する。

2  被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。)は、控訴人に対し、六九五一万六三八九円及びこれに対する昭和六一年五月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  本件附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二被控訴人

1  原判決中、被控訴人敗訴部分を取り消す。

2  控訴人の請求を棄却する。

3  本件控訴を棄却する。

4  (民訴法一九八条二項の申立て)

控訴人は、被控訴人に対し、八二〇万二九八五円及びこれに対する平成三年三月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。

6  4につき仮執行宣言。

第二事案の概要

次のとおり、原判決を補正し、当審における各当事者の主張を付加するほか、原判決の「事実及び理由」の「第二 事件の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。

(原判決の補正)

一原判決四枚目表八行目の「AHG欠乏症」を「AHG欠乏型」と改める。

二同七枚目表末行の「肘、肩、肢」を「肘、肩、股」と改める。

三同八枚目表三行目の「すなわち」から一一行目末尾までを次のとおり改める。

「すなわち、血友病Aについては、第八因子の凝固因子製剤であるAHFが開発され、昭和四二年二月に製造許可されて、同年六月には薬価基準に収載され、更に濃縮血液製剤コンコエイトが昭和五三年八月に製造許可されて、昭和五四年四月に薬価基準に収載された。また、血友病Bについては、昭和四七年四月に抗B型製剤の製造が許可され、同年六月一日には発売が開始された。当時の代表的な抗B型製剤は、日本製薬のPPSB―ニチヤク(二〇〇単位)と米国カッター社のコーナイン(四〇〇単位)であり、いずれも濃縮血液製剤である。これらは、同年一一月には薬価基準に収載されて健康保険の適用を受けることになった。これらの抗B型製剤は現在も販売されているが、昭和四七年販売開始時とその力価は変わっていない。」

四同八枚目裏六行目の「甲一四、」の後に「甲二三、当審証人杉山孝博、」を加え、九枚目表四行目の「そして」から同裏一二行目までを次のとおり改める。

「そして、控訴人の上肢及び下肢の各関節の可動域について、昭和六〇年六月一一日に浜の町病院で測定した結果は、別紙1「控訴人の身体障害の状況」の1記載のとおりであり、川崎幸病院医師杉山孝博作成の平成四年五月二五日付け意見書(以下、「杉山意見書」という。)における可動域の測定値及び日常生活動作(ADL)評価は、同2記載のとおりである。

(当審における主張)

一控訴人の主張

1 血友病性関節症は、慢性化し、関節自体に硬直や破壊等の不可逆的変性が生じる以前の段階で血液製剤が適宜投与されていれば、進行を阻止しうるものである。関節内に出血が生じると、疼痛、腫脹等により関節を動かすことができなかったり、動かしにくい状態になる。しかし、これらは、関節自体の屈曲拘縮や変化によるものではなく、疼痛や腫脹による一過性のものであるから、出血が止まり、疼痛や腫脹が解消すれば、同時に解消するものであって、恒久的な慢性関節機能障害である血友病性関節症とは異なるものである。血友病患者において、慢性関節症を発症する時期については、概ね中学入学時つまり一二歳以上とされている。この時期にいかにして関節内への出血を防止して慢性関節症への進展を阻止するかが血友病治療における基本的に重要な問題であって、その軸となるのが抗B型製剤による補充療法である。抗B型製剤が薬価基準に収載されて一般に使用可能となった昭和四七年一一月当時、控訴人は、満一一歳であり、当時、関節内出血に随伴する疼痛や腫脹による一時的ないし矯正可能な関節機能障害はあったものの、硬直、破壊等の関節変性はなく、出血時以外は野球やサッカー等に興じるなど健常な子供と変わらない状態にあり、出血管理さえ適切に行えば、健常な関節機能を保持ないし回復しうる状況にあった。控訴人は、出血管理を目的として国立病院である小倉病院に長期入院中であったのであり、抗B型製剤の予防的投与、出血直後の投与等、適宜血液製剤よる補充療法を受けうる最良の状況に置かれていたのである。小倉病院の医師が、昭和四七年一一月当時から抗B型製剤であるコーナインやPPSB―ニチヤクを控訴人に投与していれば、全く健常な関節機能を今日まで保ち得ていたことは明らかである。

2 また、控訴人の肝機能に異常が認められたのは、昭和五四年一月一一日が最初であり、それまで再三肝機能検査を受けているがまったく正常であった。ウィルス性肝炎の潜伏期間が二週間から六か月であることは医学界の定説であるから、控訴人の肝炎罹患は、AHF投与開始後であることは明白である。AHF投与開始後も控訴人に輸血はされているが、これらは主治医らが控訴人の血友病の型の判断を誤ってAHFを投与し、止血しなかったため実施されたものである。控訴人に正しく抗B型製剤が投与されていた場合は、少量の使用によって止血が可能であり、血液製剤の総使用量はAHFに比してはるかに少量で済んだはずであるから、控訴人が血液製剤由来の肝炎に罹患することを免れた蓋然性がある。したがって、控訴人の慢性肝炎罹患と主治医らによる誤った診断の結果されたAHFの投与とは因果関係があり、このことは、控訴人の逸失利益の認定において十分考慮されるべきであり、少なくとも慰謝料認定の重大要素として重視されるべきである。

二被控訴人の主張

控訴人は、昭和四七、八年ごろには既に上肢及び下肢の関節に相当程度の機能障害があったが、その症状の程度は、昭和五四年九月二〇日に小倉病院を退院する時点まではほとんど変わらず、日常生活動作に支障を来すほどのものではなかった。しかし、その後控訴人が、昭和六〇年六月一一日と平成三年一二月二一日に上肢及び下肢の各関節可動域の検査を受けた結果によると、機能障害が六年毎にかなり悪化している。控訴人は、小倉病院を退院後の昭和五五年三月に血友病Bであることが判明し、その後は抗B型製剤の投与を受け始めたというのであるから、常識的にはそれ以降は血友病性関節症の急激な進行は考えにくい。抗A型製剤の投与を受けていた期間中は血友病性関節症があまり進行しなかったにもかかわらず、それより優れた効果があるはずである抗B型製剤の投与を受けていながら関節機能障害が著しく進行したとすれば、それは昭四七年から昭和五四年までの間に抗B型製剤を投与しなかったことが原因ではなく、他に原因があったのではないかと考えるべきである。したがって、小倉病院の医師の控訴人に対する治療行為と控訴人主張の関節機能障害との間に因果関係を認めることは困難である。

第三争点に対する判断

一主治医らの注意義務違反の存否

小倉病院における主治医らが、控訴人が血友病Bの患者であるにもかかわらず、血友病Aの患者と診断し、控訴人に抗A型製剤の投与を続けるなどしたことが、当時の医学水準に照らし、診療上の注意義務違反があったと認められることについての認定、判断は、原判決の「事実及び理由」の「第三 争点に対する判断」一に記載されているとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決二一枚目表六行目の「AHG欠乏症」を「AHG欠乏型の血友病」と改める。)。

二控訴人の身体障害と右注意義務違反行為との因果関係

1  運動機能障害について

(一) 血友病性関節症

血友病性関節症は、血友病の出血症のうち最も頻度が高く、特に骨が成長過程にある小児期に頻発する。関節出血の初期に発現する急性関節症は、関節に腫脹、疼痛、熱感があり、関節は屈曲位をとり、運動は制限されるが、これらは一過性のものである。しかし、関節出血を繰り返すと、関節内に出血した血液は異物として働き、滑液膜の炎症、ヘモジデリンの沈着を来し、疼痛による安静は滑液の流れを阻害し、関節の支持性、筋力の低下を招来する。これらはすべて再出血を容易にする要因となり、悪循環が形成され、同一関節に出血を繰り返すことになる。このようにして悪循環が形成された状態を慢性関節症といい、関節の持続的腫脹、熱感、軽度の拘縮、関節可動域の低下、X線上の変化等が認められる。慢性関節症により、次第に関節組織に破壊性変化が起こり、関節の可動域が恒久的に低下した肢体不自由へと移行していく。なお、関節の可動域制限が、関節包外の軟部組織に起因する場合を拘縮といい、関節包内における関節機能そのものに起因する強直とは区別される。関節拘縮については、特に成長停止期に達するまでの小児においては、たとえ陳旧例であっても、大多数が保存的療法によって矯正が期待できるといわれている。(〈書証番号略〉)

(二) 控訴人の運動機能障害発生に至る経過

(1) 小倉病院入院時

小倉病院に控訴人を紹介した門司病院の新宮医師は、昭和四一年七月七日付けの「御加療願」で、控訴人の診断名を右肘関節の硬直を合併した血友病とし、右手、右膝も強直を起こしかけている旨指摘し、小倉病院整形外科の元村医師は、小児科の三上医師からの診察依頼に対する返答として、「血友病性関節症と思います。関節には血液の貯留があります。右肘は強直でなく拘縮ですので、可動性の回復は期待できます。」とカルテに記載している。(前記争いのない事実3、〈書証番号略〉)

(2) 入院後から昭和五二年に内科に転棟するまで

この間、カルテの記載によれば、控訴人は、四肢の関節出血等を繰り返し、そのつど関節の腫脹、疼痛、熱感等の症状が発現し、関節の運動制限を生じて跛行したり、松葉杖を使用したりしていたが、症状の軽快時には養護学校や病院内でバドミントン、野球、卓球、サッカーなどをして遊び、養護学校の運動会や遠足にも参加していた。(〈書証番号略〉)

昭和四五年四月から昭和四七年一一月まで主冶医をしていた兼光医師は、控訴人の当時の主な症状は肘、膝関節の疼痛や腫脹の出没であり、担当期間中に特別に症状が進行したとか重篤になったという印象はなく、AHF使用を始めた昭和四七年七月当時の控訴人の運動機能障害については、明確ではないが、どちらかの膝関節にある程度の機能障害があったように記憶している旨述べ(原審証人兼光寿臣)、昭和四七年一一月から昭和五一年九月まで主治医をした向野医師は、引継ぎ時の控訴人は両膝が腫れて少し動きが障害されており、ちょっとお尻を突き出して、前かがみになって内股で歩く感じで、肘や肩にも運動制限があった旨及び担当期間中、控訴人の運動機能の障害は少しは進行したかもしれない旨述べている。(原審証人向野ミチ子。なお、原審控訴人本人では、右のような歩き方をするようになったのは、昭和四九年ごろ、重い腰部の出血をしてからであると述べている。)。

控訴人は、小学一年生位(昭和四三、四年ごろ)までは正座ができたが、その後はできなくなった。(原審控訴人本人)

昭和四六年ごろから昭和五一年ごろまでの間(控訴人が小学四年ごろから中学三年ごろ)、控訴人と小倉病院で同室したことがある浅島直喜は、控訴人が、しばしば看護婦等が追いかけるのを振り切って、走って病院から逃げ出したり、木や屋根に上ったり、鉄棒で逆上がりをしたり、出血等の症状がないときは、肘や膝の曲べ伸ばしも普通のようにできていた旨述べている。(当審証人浅島直喜)

控訴人の入院当時から昭和五二年までの間に控訴人を撮影した写真にも、肘、膝を真っ直ぐに伸ばしていたり、膝を折ってしゃがみこんでいる状態が撮影されているものがある。(〈書証番号略〉)

(3) 昭和五二年四月九日内科に転棟時

神田医師は、控訴人を小児科から内科に転棟させる直前の昭和五二年三月一四日、内科の坂口医師に宛てて、「皮下、筋肉内、関節内、口腔内出血を繰り返し、その度にAHF一、二本の点滴を施行しています。今年になってからは調子良く、一回もAHFは使っていません、関節の軽い拘縮がみられます。」との申し送りをしている。(〈書証番号略〉、原審証人坂口正剛)

右転棟時の控訴人の状態について、内科のカルテには、手関節変形、両膝、肘関節運動制限あり、跛行あり、月に一、二回松葉杖を使用することあり、正座困難などと記載されている。(〈書証番号略〉)

(4) 内科に転棟後、昭和五四年九月二〇日に退院するまで

この間も、控訴人は、四肢の関節出血等を繰り返し、松葉杖を使用することが多くなり、昭和五四年になると肘、膝関節の運動制限に加えて肩関節の運動制限をしばしば生じている(この間のカルテには、同年一月二二日左肩挙上困難、三月一七日右肩関節運動制限、挙上困難、四月一二日左上肢の挙上困難、七月一日上肢挙上困難などと記載されている)。同年四月二日、今村医師から富名腰医師への引継ぎの際の申し送りでは「普段は別に出血傾向はないが、時折関節内出血による疼痛、筋痛を訴える。」とされ、富名腰医師は、引継ぎ時の診察で「右膝関節伸展障害、右肘関節伸展障害」とカルテに記載している。同年八月二〇日には、右肘関節の伸展九五度(正常値は一八〇ないし一八五度)で、担当医が整形外科宛てに「同月一九日より右上肢伸展障害が強くなり拘縮も心配される。」との申し送りをして診察を依頼したが、この伸展障害は徐々に回復し、同月二七日には「ほぼ元の状態まで改善された。」とカルテに記載されている。

右のような中で、控訴人が体育の時間に卓球をしたり腕立て伏せをしたと述べた旨のカルテの記載(昭和五四年一月二日)もある。(〈書証番号略〉)

(5) 小倉病院を退院した後

控訴人は、昭和五四年九月二〇日に小倉病院を退院したが、その約二年後の昭和五六年七月二一日(一九歳時)には、浜の町病院で多発性血友病性関節症(障害名多発性関節拘縮)により身体障害者福祉法別表第五の第三級に該当するとの診断を受け(〈書証番号略〉)、更にその後の検査では、別紙1「控訴人の身体障害の状況」の1、2のとおり相当重篤な身体障害が生じていることが明らかである。

この間、控訴人は、福岡市の身体障害者リハビリセンターや浜の町病院で機能回復訓練を受けようとしたが、関節のレントゲン撮影の結果等から、リハビリによる機能回復は見込めないし、手術による機能回復も、出血による危険性等によって無理であるとされた。

なお、控訴人は、昭和五五年三月、浜の町病院での検査の結果血友病B型であることが判明したが、その後、同病院及び九州産業医科大学病院に通院し、平均して月に一、二回位の頻度で抗B型製剤の投与を受け、自己注射療法が認められた後は自宅等でも抗B型製剤を注射している。また、控訴人は、昭和五六年一一月以降、写植会社、カメラ店、書店に就職したり、自営でポスター作成の仕事をしたりしている。(原審控訴人本人)

(三) 控訴人の運動機能障害と主治医の注意義務違反との因果関係

(1) 右の控訴人の関節障害発生の経過を、(一)で述べた血友病性関節症に関する医学的説明も考慮して検討するに、昭和四一年に小倉病院に入院した当時、控訴人は、右肘に拘縮があることが認められているが、小倉病院の整形外科医師が指摘しているとおり、拘縮は強直とは異なり可動性の回復が期待できるものである。事実、その後の控訴人の状況を見ると、出血がなく関節の症状が軽快している時は、ほとんど健常者と変わらない状況で運動等をしていたことが認められる。これらの点に当時の控訴人の年齢や入院前の出血の状況(前記争いのない事実3)等からすると、小倉病院整形外科医師が当時控訴人を血友病性関節症としたのは、急性関節症に罹患していることを指摘したものと考えられ、当時、控訴人が慢性関節症といえる段階まで達していたとは直ちにいいがたい。

次に、抗B型製剤が一般に使用されるようになった昭和四七年一一月ごろの状況が、入院時とどの程度変化していたかは明確ではないが、昭和四三、四年以降それまでできていた正座ができなくなったこと、既に関節出血が長期間繰り返されて悪循環が形成されていたと考えられること等からすると、当時控訴人は慢性関節症の状態にあり、関節の障害がある程度進行していたことは明らかである。しかし、控訴人が内科に転棟した昭和五二年の時点での主治医の申し送りですら、「関節に軽い拘縮がみられます。」という程度のものであり、昭和四七年の前後を通じて、時折松葉杖を使用したり、跛行したりすることはあっても、症状の軽快時は相当程度の運動ができていたことを考慮すると、障害の進行の程度はそれほど大きいものではなかったと認められる。

その後、控訴人が、昭和五四年九月に小倉病院を退院するに至るまでの状況については、前記認定の事実からすると、さらにある程度障害の範囲、程度が拡大、進行していたことが認められるが、カルテに記載された関節障害が、関節出血に伴う一時的なものか、それとも恒常的なものかを明確に識別できないことに加え、他方では、カルテに腕立て伏せ、卓球等の運動ができていたことを推測させる状況や、いったん生じた肘関節の相当強い運動制限が元の状態(これがどの程度の状態を指すかも明らかでない。)に回復したとする記載があり、かつ、小倉病院では控訴人の関節障害について、整形外科的に詳細な検査をした形跡がないこともあって、具体的な障害進行の程度は明確ではない(もっとも、前記認定事実からすると、当時の控訴人の運動機能障害が、日常生活動作に影響を及ぼさない程度のものであったとは到底いえない。)。

以上の経過に対し、控訴人の小倉病院を退院後の身体障害者等級認定等では、運動機能障害の存在とその程度が明確にされており、かつ、昭和六〇年六月一一日付け診断書の測定値と杉山意見書の測定値を比較すると、手関節等の一部に機能が改善された箇所もあるが、全体としては障害が年齢を加えるごとに一段と悪化していることが認められる。

(2) 凝固因子製剤が一般に用いられるようになった後では、急性関節症の治療の基本は凝固因子製剤の早期投与によって止血を計ることであり、これにより悪循環の形成を予防することである。また、慢性関節症の治療でも、血液製剤の定期投与が重要視され、これと補装具療法、筋肉強化訓練等を継続することにより、悪循環を断つことができるとされる。昭和五六年発行の書籍「血友病」における小児科医の論文では、右の治療法により約九〇パーセントの関節で悪循環を断つことができたとされ、「悪循環形成は、幼児から成人まで見られるが、われわれの経験では一一歳をピークとしている。運動の激しさ、筋肉の未発達、病識の成長などの年齢的要素の関与が推察される。この年齢層の悪循環を断つことにより、より健全な成人として内科医にお渡しするのが、われわれ小児科医の義務と考えている。」と述べている。(〈書証番号略〉)

また、血友病患者の診療について民間病院としては全国でも有数の規模を持つ川崎幸病院の医師杉山孝博が、平成四年四月に、同病院に受診している血友病患者から控訴人とほぼ同年代の患者六名(年齢二五歳から三二歳、いずれも血友病A。)を抽出して運動機能等の調査をした結果は、別紙2「川崎幸病院における患者例」に記載のとおりであり、右六名の患者のうち五名までが欠乏凝固因子の活性値が一パーセント以下の重症患者であるにもかかわらず、いずれの患者も控訴人の現在の症状に比較して格段に軽い程度の機能障害にとどまっている。(〈書証番号略〉、当審証人杉山孝博)

右調査結果は、対照群の数が六名と少なく、対照群の患者が川崎幸病院を受診する前の診療状況が不明である点に問題がなくはないが、前者については、全国の血友病の患者自体が少数である上に、血友病の治療法が時代とともに進歩し、特に凝固因子製剤による補充療法を受け得た時期のいかんによって治療効果に格段の差異を生じ、同年代の患者と比較するのでなければ意味がないことによる制約があることから、対照群の数が少数になるのはやむを得ないと考えられ、後者についても、控訴人が満四歳から国立の総合病院である小倉病院に入院し、出血管理を受けていたことを考慮すれば、対照群の患者の以前の診療環境が控訴人の診療環境に著しく優ることは考えにくく、右調査結果は、血友病に関する症状の比較として十分に意義を有するものというべきである。なお、対照患者がいずれも血友病Aである点は、一般に血友病Bは、欠乏凝固因子の活性値が同じでも血友病Aより出血症状等がやや軽いとされており(〈書証番号略〉原審証人岸田邦雄、当審証人杉山孝博)、右調査結果と控訴人の症状とを比較する場合に、右型の差異が控訴人の症状を重くする要素となることはない。

(3) 既に述べたとおり、控訴人は、満四歳時から満一八歳に至るまで(途中に一度退院したことはあったが)小倉病院での入院生活を継続し、血友病による出血管理としては一般的に考えられる最良の環境にあったものである。それにもかかわらず、同世代の血友病患者と比較して、関節機能障害の程度に格段の差異が認めらるということは、小倉病院の医師が、控訴人の血友病の型を誤診し、凝固因子製剤による補充療法が一般に行われるようになった昭和四七年ごろ以降、抗B型製剤による適切な治療をしなかったことに起因することを推認させるというべきである。

抗B型製剤が、一般に使用されるようになった昭和四七年一一月当時、控訴人は満一一歳であり、関節出血を繰り返してはいたが、運動機能障害の程度がそれほど進行していたとみられないことは前記のとおりである。そして、この時期は、小児における悪循環形成のピークとされ、控訴人もこの当時既に悪循環が形成され、ある程度の関節の不可逆的変性も生じていたことは考えられるが、適切な補充療法等を施すことにより、悪循環を断ち、関節障害の進行を少なからず抑制することは可能であったと考えられる(なお、原審証人岸田邦雄は、血友病性関節症になった場合は、その後に濃縮血液製剤を使用してもその進行を止めるのは非常に困難であると述べているが、他方では、軽度の関節症では血液製剤を投与しない場合よりも進行をくい止めることができるとも述べており、前記した医学文献の記載等も考慮すると、控訴人の場合に適切な補充療法が施されていれば、少なくともその後の進行を抑制できていたと考えることができる。)。

(4) なお、被控訴人は、控訴人に投与した抗A型製剤は、止血効果など症状の改善に効果があったと主張するが、そのような事実が認められないことは、原判決二六枚目裏六行目から二九枚目表一〇行目に説示しているとおりであるから、これを引用する。

(5) 被控訴人は、当審において、控訴人が小倉病院を退院後から現在に至るまでの検査結果等は、抗B型製剤を使用したにもかかわらず、小倉病院の退院時より格段に悪化しているとして、控訴人の現在の症状と小倉病院における診療行為とは因果関係がない旨主張する。

既に述べたように、控訴人の小倉病院退院時の身体障害の程度について、その後の整形外科的かつ詳細な検査と比較することができるような資料はないから、退院時と退院後の身体障害の程度の差異を具体的に認めることは困難といわざるを得ないが、控訴人の身体障害の程度に関する昭和六〇年六月一一日付け診断書の測定値と杉山意見書の測定値を比較すると、この間に関節障害の程度がある程度悪化したことが認められ、控訴人の最近の状態は、退院時の一般的な身体状況と比較すると相当の差異があるように見受けられる。

しかし、控訴人が小倉病院を退院した時期は、満一八歳であり、身体的にほぼ成長停止期に近い状態にあった。したがって、その後の出血に対して抗B型製剤を投与して止血効果を得たとしても、関節障害の急速な進行を阻止できなかったことは十分に考えられる。このことに、控訴人が小倉病院を退院後に受診した医療機関の診療に、何らかの不適切な点があったことを窺わせる証拠がまったくないことも考慮すると、右の障害の程度の変化をもって小倉病院の診療行為の過誤と現在の控訴人の症状との間の因果関係を否定することはできない。

(6)  以上述べたところによれば、小倉病院の主治医らの注意義務違反と控訴人の運動機能障害の悪化との間には、相当因果関係があるというべきである。

そして、右因果関係を有すると認められる運動機能障害の悪化の程度については、前記川崎幸病院における同年代の患者の障害との比較によってこれを推認することができるというべきである。右の比較に当たっては、右調査の比較対照した患者数が少ないことを考慮し、調査結果の評価をある程度控えめにすることによって悪化の程度を推認するのが相当である。

右に述べたところを考慮すると、控訴人が抗B型製剤による適切な治療を受けていたならば、とどまったであろうと考えられる運動機能障害の程度は、少なくとも川崎幸病院における同年代の患者のうち最も障害の程度の重い者と同程度と推認するのが相当であるから、控訴人の運動機能障害のうち、右の程度を超える部分について、小倉病院の主治医らの注意義務違反との間に因果関係を認めることができる。

2  肝機能障害等との因果関係

小倉病院の主治医らによって、控訴人にされた抗A型製剤の長期にわたる投与が、控訴人の肝機能の悪化に寄与した可能性は認められるが、抗B型製剤の投与によっても肝機能の障害は発生する可能性があり、適切な診療がされていた場合どの程度の肝機能障害に止どまっていたかを具体的に判定することができないため、控訴人の肝機能障害については、これを慰謝料算定の要素として考慮すべきであること等についての認定、判断は、原判決三二枚目裏一行目から三八枚目表一行目までに記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決三七枚目表一二行目の「肝機能障害についても」を「肝機能障害ついては」と改める。)。

肝機能障害に関し、控訴人が当審において主張するところを勘案しても、右の判断を左右するに足りない。

三損害

1  逸失利益

既に認定した控訴人の運動機能障害を自賠法施行令別表による後遺障害等級及び労災保険関係の障害等級認定基準等に基づいて判定すると、別紙3「障害等級の認定」の2に記載のとおり、その労働能力喪失率は七九パーセントと認められる。

他方、川崎幸病院の患者例では、右別紙3の3に記載のとおり、二〇パーセントから五六パーセントの労働能力喪失率であることが認められる。

本件においては、既に述べた理由により、右患者例のうち、最も障害の程度の重い患者の労働能力喪失率と控訴人の喪失率との差をもって、小倉病院の主治医らの注意義務違反と相当因果関係のある損害と認める。これによる逸失利益の金額は、控訴人の稼働可能年数を高校卒業時の一八歳から六七歳に達するまでの四九年間とし、年収を本訴提起時である昭和六一年賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計、男子労働者全年齢平均給与額の四三四万七六〇〇円として、ライプニッツ係数により計算すると、次のとおり一八一六万八〇五五円となる。

4,347,600×18.169×(0.79−0.56)=18,168,055

2  慰謝料

控訴人は、満四歳時から満一八歳時までの長期間にわたり、小倉病院に入院して治療を受けたが、そのうち昭和四七年一一月以降の約七年間、血友病の止血剤として画期的な効能がある抗B型製剤が使用可能であったにもかかわらず、小倉病院の主治医らの型の判断の誤りにより、その投与を受けられなかった上に、血友病Bには効果のない抗A型製剤の投与を八〇回以上も受け、その結果、出血時の疼痛の苦しみを早期に緩和、解消することができなかったことなどの入院中の肉体的、精神的苦痛に加えて、重篤な運動機能障害と前記の肝機能障害を残すに至ったものである。

右のほか、本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、控訴人に対する慰謝料としては五〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

本件事案の内容、認容額等に照らすと、控訴人に賠償すべき弁護士費用の金額は、控訴人主張の一〇〇万円を下るものではないというべきである。

第四結論

以上によれば、控訴人の本訴請求は、被控訴人に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、二四一六万八〇五五円及びこれに対する昭和六一年五月二〇日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は棄却すべきである。

よって、右と異なる原判決を右のとおりに変更し、被控訴人の附帯控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、九二条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官権藤義臣 裁判官石井義明 裁判官寺尾洋)

別紙1ないし3〈省略〉

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